歴史を知る
HISTORY
アイエスジー株式会社の前身「石井商店」は、1884年(明治17年)に、東京の本所相生町において米の販売店として創業しました。
当社は、前身となる石井商店が創業した1884年より、お客様のくらしと共に、歩んでおります。
1946年11月
日本国憲法公布
世の中がやや落ち着いてきた頃、木炭産地各所の荷主達から、取引を再開しないかとの誘いを頂くようになった。長年培ってきた信用のお陰である。
1951年9月
サンフランシスコ平和条約を締結
日米安全保障条約を締結
日米安全保障条約を締結
1953年
家庭用燃料としてLPガスが使われ始める
1961年
日本初のLPガス輸入船「豪鷲丸」(ゼネラル瓦斯)が川崎に帰港
1960年~75年
ベトナム戦争が起こる
1964年
自動切替調整器の発売
安全面の信用がおけないことを理由に、LPガスの直売を認めなかった2代目石井信吉であったが、3代目石井誠のLPガスを一般家庭に普及させたいという熱意に根負けし、LPガスの直売を認めた。
1964年10月
第18回オリンピック競技大会(東京)
1965年
ガス漏れ警報器販売開始
1967年12月
「液化石油ガスの保安の確保および取引の適正化に関する法律」(液石法)が成立
1970年3月
大阪で日本万博開催
1972年
日中国交正常化
顧客件数が6,000件近くまで拡大。さらなる躍進を考えて充填工場を建設し、元売りから直接LPガスを仕入れることを考える。当時の売上が3億円の中、投資として工場建設費用3億円、日本銀行の長期金利8.6%という状況。3代目石井誠の母は賛成してくれたが、一緒に働いていた全員が反対した。しかし建設を決断し、資金の3億円を元売りと銀行から借り入れ、来年からガスの取引きを今の倍行う約束をした。
充填基地完成後、第一次オイルショックにより、世の中で石油とLPガスが不足した。当社は元売りと先付の買い取り契約を行っていたので、潤沢にLPガスを調達できた。これにより、顧客件数を3,000件増やし、いつ返済できるか分からなかった借金を6年で完済した。
充填基地完成後、第一次オイルショックにより、世の中で石油とLPガスが不足した。当社は元売りと先付の買い取り契約を行っていたので、潤沢にLPガスを調達できた。これにより、顧客件数を3,000件増やし、いつ返済できるか分からなかった借金を6年で完済した。
1973年
第一次オイルショック
1973年2月
液石法の改正により、LPガスメータの設置が義務付けられた
1978年
成田空港開港・第二次オイルショック
1979年(昭和54年)
ガス漏れ警報器の設置を開始
業界に先駆けて消費者にガス漏れ警報器を無償で全戸設置していった。
1982年11月
中央自動車道全線開通
1983年(昭和58年)
ヒューズガス栓などの安全機器の設置を開始
保安投資を積極的に行い、保安対策を強化していった。
1983年5月(昭和58年)
千葉県市原市に市原出張所(後に市原営業所に改称)を開設

1985年7月(昭和60年)
茨城県新治郡桜村(現・つくば市)に土浦出張所を開設

1985年3月
つくば万博開催
従来の10倍の処理能力を有し、記憶装置は300Mb→800Mbに向上。以後2年間でガス機器管理、メンテナンス情報、入転居等の依頼伝票の自動発行を計画。
NTT中央テレコンネット契約第1号。保安対策の一層の強化、都市ガス以上のサービス体制を整備し、他社との差別化を図る。
VI(ビジュアル・アンデンティティ 企業戦略の視覚的イメージ統一)戦略の一環。商圏や業容の拡大、業務の多角化が進み、①業際②リクルート市場③消費者行動の変化④ニーズの多様化への対応を図る。そして個人商店の規模を超え、事業拡充強化のため。
VIの方向性
①ガス供給を核として更に幅広いサービスを提供する企業のイメージ確立
②豊かな暮らしを消費者とともに考える企業イメージの形成
③新時代に飛躍する力強い企業イメージの創出と浸透
VIの方向性
①ガス供給を核として更に幅広いサービスを提供する企業のイメージ確立
②豊かな暮らしを消費者とともに考える企業イメージの形成
③新時代に飛躍する力強い企業イメージの創出と浸透